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最近は「ここは東京か」というようなピカピカの綺麗なビルがやけに目立つようになって、贅沢三昧な感じのマンハッタン。そんな綺麗なニューヨークにうんざりしてきたらブルックリンに行ってみるといい。ここはまさに人種の坩堝。コメディー発祥の地でもあり、ニューヨークの、いやアメリカの心だ。ニューヨークの歌で「I
Love New York」がある。さびの部分は「I Love New York….I Love New York….I
Love New York….」(ニューヨークが大好きだ、ニューヨークが大好きだ、ニューヨークが大好きだ)。知らない人はいないあの歌だ。私はそれに追加してI
Love Brooklyn…I Love Brooklyn….と続ける。そう、ブルックリンは私の第二のふるさとだ。
私の住んでいるブルックリン・ハイツからキャロルのアパートがあるベッド・スタイまでバスで行くときのこと、200キロはあるだろうと思われるおばさんが隣に座ることもあれば、まるで自分の家のリビングにでもいるがのごとくフライドチキンをほおばる高校生がいることもある。意味不明な日本語の刺青を入れた人たちにもよく出くわした。「男前」、「女好」、「一人前」。極めつけは、「変人」。(たぶん「愛人」と書きたかったのでは?!)ブルックリンのバスの中は、何故かいつもわくわくする。今日はどんな「変人」に会えるんだろう・・・。
前号でお話ししたように、クラウンハイツでやっと見つけたブラウンストーンの家を諦めなくてはならなくなって一番がっかりしたのは私だ。何故ならば、またもやキャロルと朝から晩まで家の話をするのかと考えただけでもうんざりしていたころだったからだ。でもそうはいっても仕方がない。最後まで責任を持ってお手伝いをしなければ。と言っても、さんざんいろんな物件を見に行った後だったので、なかば適当に「じゃ、ベット・スタイのこれは?」みたいなのりで特に何の特徴もないような家を暇つぶしに見に行くことにした。
見た感想はと言うと、抱き合って喜ぶほど美しい家でもないし、特にお得な値段でもない、立地が言い訳でもなし、なんとも購入ポイントのない家だった。唯一いいんじゃん?と思ったのは、そこに住んでいたオーナーのおばさんが頑固でいい味を出していたこと。黒人のお婆さんで年齢は85歳をとうに過ぎている話ぶりだ。最初、アジア人の私を見て露骨に嫌な顔をした。いまどき、たかがアジア人を(?!)そこまで嫌な目つきで見る人のほうが珍しくて、私はより一層、頑固そうな黒人のお婆さんに興味を持ってしまった。
オーナのお婆さんは、40年以上同じ家に住んで、このブロックには親戚一同が住んでいたけど、次から次へと別の土地に引っ越ししていったという話しをしてくれた。旦那が亡くなって、今はニュージャージーに住む養女だけが頼りだということ。4階建ての大きな家に住んでいるのに足が悪いからキッチンとリビング兼ベッドルームをいったり来たりする以外に家の中は歩きまわらないということで自分でも家の中のほかの部分がどうなっているのかわからないと、2時間以上にわたってキッチンで話してくれたが一度たりとも私の顔をみなかった。だからお婆さんとキャロルが話している間、私はというと彼女の肌が凄くきれいで、それをじっと見ていた。帰りに「肌が綺麗ですね」と言ったら、お婆さんはポンズ(Ponds)を使う以外には特に何もしてないけれど、とにかく日にあてないことねっ。と言った。そっか、美肌の秘訣は人種に関係なくサンブロックなんだと学んだ。。。という話ではなく、その時に始めてチラッと私に笑顔をみせてくれたが、なんとも無愛想な人だこと。なのに、何故か悪い気分にはならなかった。それはキャロルも同じだったようで、何故か彼女からいいバイブを得たらしく「じゃ、これにするわっ」と言ったのだった。
あんなに熱くなって家探しをして「じゃ、これっ」って。本気かい?と疑ってしまったが、それでいいと本人が言うのだからそうする事にした。ここまでの話だとすべてがサラッと行ったように聞こえるが、実は購入を決めてから実際に契約が完了するまでが大変だった。ただで物事が済まないキャロルらしく「うそでしょ?」という事件がいくつも起きたのだ。
キャロルはFEMA(Federal Emergency Management Agency/連邦緊急事態管理局)に勤めている。 2001年の初夏にこのお婆さんの物件を購入することに決めてからあの9・11が起きた。9・11が起きて誰よりも忙しかったのはきっとFEMAに勤める人たちだったはずだ。キャロルもしかり。朝も昼も夜も週末もなく働く彼女に、家の事を心配しろというのも無茶な話だ。購入するという契約をしたけれどもなかなか作業が進まず、その間、私はというと売り手の弁護士を怒らせないように毎日ハラハラし続けた。こんなこともあった。待てども暮らせども返事が来ない住宅ローンの事をキャロルに問い合わせてもらうようにいった。すると、なんとキャロルの住宅ローンの手続きをしていた銀行がテロで全壊してしまったワールド・トレードセンターの中にあったので、全ての手続きをした用紙等が燃えてしまった。のだそうだ。まるでドラマか?というような話だが本当の話だ。その後、別の銀行で新たに住宅ローンの手続きをしたが、実は今度はその会社が洪水にあって書類が水浸しになってしまった。というような、こんな嘘みたいな事が二度も起きた。
もう、キャロルから「Hey、Keiko LISTEN!!!」(ちょっと聞いてよ!!)といきなり電話がかかってきてもビクともしなくなった。私をからかっているのかというようなドラマがキャロルには付きまとうから。「嘘でしょ?」とか「どうしてそうなってしまったの?」というような冴えない事は言わない。「そっかぁ〜」とひたすら事実を受け止められるようになっていた。いくら緊急事態管理局に勤めてるとはいえ、自分自身にもそんな災難が2度も降りかかるなんてキャロルというのは異常事態慣れしてるというかなんと言うか。しかしキャロルから仕事の話を聞いていると、アメリカ国内だけでも次から次へと休みなく自然災害というのは起きるもんだと驚く。その度に現場に駆けつけて救済をしているキャロルをみていると、ニューヨーク版怒りのマザーテレサをイメージしてしまう。
そして数々のドラマを乗り越えてとうとうゲットした夢のブラウンストーンをキャロルは2007年に手放さなくてはならなくなった。理由はというといろいろ他にもあるだろうが、FEMAで働いている彼女は災害が起きるたびにアメリカ国内を飛び回っていて、まずブッルクリンの家でゆっくり過ごす事がないということ。それに、オハイオにある家との両方の維持が困難になってきたということだった。そこで久しぶりにキャロルに会い、かれこれ5年ぶりにこの家に来た。賃貸に出していた3階と4階のアパートの部分は綺麗に改装されていたが、キャロルの居住空間だった1階と2階の部分は単に空き家状態。または夜逃げでもしたかのような寂しい部屋になっていた。キャロルがこの家を空けてから1年半が経過していたそうだ。家を空けてから半年くらい経ったころ、近所に住む不動産エージェントに販売の委託をしていたが、1年経っても売れないのはどういうことか?といって私に聞いてきたのだ。
まずは1年も買い手が見つからないのは家が悪いわけではなくて、エージェントにやる気がないということだと説明して、ぜひ私に売るチャンスを与えてくれるようお願いをした。それからというもの私は、フルタイムで家の掃除をし続けた。家を売る依頼をされたからといって「そうですか。ハイハイ」といってあるがままの家を売るのでは素人業だ。今ある家をいかに買いたくなるように見せかけるのかもエージェントの仕事だと思う。いくら他の物件と比べて価格を安く設定したから、あとは自分で掃除しなさいと買い手にいったところで、それだけでは売れない。だから私は自ら掃除をしまくる。窓をふく。床を磨く。新鮮な空気を入れる。明かりをいれる・・。そうするだけで価格が5%〜10%は上昇する。それだけでは足りなく、結局キャロルとその家族にオハイオから運転してきてもらい家のペンキを塗ってもらったりもした。家のペンキを塗ったりしているときにキャロルは買ったときよりもこの家が大好きになって本当に手放すのが惜しいとしきりに言っていたが、私もそう思った。アパートの魅力もそうだが、ここの近所は通えば通うほど好きになる土地柄だった。
キャロルの家は1年以上も空き家になっていたので、この家に人の作り出すエネルギーを与えようと、日曜日の昼間にDJに来てもらい、この家の3階の部分を賃貸していたオーストリア人アーティストのモンテの展覧会も兼ねてパーティーを開いた。勿論、パーティーがてら買い手に見に来てもらうというのが狙いだ。ところがこの近所ではパーティーと聞けば、用は無いがとりあえず参加する人がいる。外に風船を上げて少しでもパーティーの空気がそこにあれば人は来る。家を見に来るという人よりも、明らかにDJ、What
DJ? みたいな覗きの人が大勢家に集まってきた。向かいの家に30年住んでいるという「チョコレート・バグパイパー」だといって名詞をくれた叔父さんは、要するに黒人ながらに何故かあのタータンチェックのスカートを履いてパーティーでバグパイプを演奏する人らしい。しかも、名詞の裏をみたら手書きで「1時間$350」と書いてあった。それは叔父さんにスカートを履いてバグパイプを演奏したもらったらそういう値段になるという事か?高すぎないか?とは思ったが、きっと依頼する事もないから「はぁ、ど〜も」と適当に交わした。それとは別に、家やモンテの絵にはまったく興味がなさそうな叔父さんも隣の隣の人だと言って入ってきたが、若い奥さんが欲しいとしきりに言っていた。何故かと言うと16人子供が欲しいらしい。なんとも無責任な事を言うおじさんだが別に私には関係がない。誰か20歳くらいでこれからあなたと16人子供を持ちたい人を探しておきますね。とこれも適当に返事をしてみたが、どうしてあの叔父さんは16という数字にやたらこだわるのかが分からなかった。何事も最初の「1」が大切で1人から始めればいいのに、自称1人も子供をもたない人が何故16人も欲しいと思うのか?不思議な隣人だ。もう1人。「先週、東京から帰ってきたんだよ。千葉ってところにいて」って、それは東京に行ってたんじゃなくて千葉にいたんだよ。と言いたかったがあえて指摘もしなかった。そういう彼はこの近所に住んでる俳優らしい。どんな映画に出るために「千葉」に行っていたかは知らないがインターネットで自分の名前をいれたらすぐに出てくると言っていたが、あとで調べてみると言いつつ、もう名前も忘れてしまった。
ブルックリンには楽しい事がたくさん集中している。いろんな事が幸福な偶然によって起こる。私はブルックリンに住むようになってから運や運命を信じるようになった。それは車に乗りながら外を歩く人や景色を見ているときではなく、ブルックリンをバスに乗ったり、歩いたりしているときに特に感じる。バスで人に足を踏まれたり、デブなおばさんに押されても「あなたとぶつかって嬉しい」と言ってしまう日がある。だからパーティーに、私が来てもらいたい人以外の人達がたくさん集まってきても、それでもみんなブルックリンを愛する人達で、会えてとっても嬉しかった。
そして偶然にもパーティーの時に家を見にきていた女の人がこのキャロルの家を買ってくれた。彼女も購入すすまでに2年以上かけていろんな家を見続けたらしい。自称「賢い」バイヤーだが何故か他にある家をよそにこの家を購入しようと思ったらしい。本人いわく「なんかいい感じ」だったそうだ。よかった、ずっとそこに飾っておいたモンテの絵からいいエネルギーを感じたのかもしれない。英語が全く分からないモンテだけど、ニューヨークに来てアーティストとして絶対デビューするんだという意気込みからか、彼が滞在中に書き上げた60枚もの絵からは、素人の私が見ても強いエネルギーを感じることができる。それがまさにアートというものなんだろうが、今までそんな事すら気づかずにいた。モンテの60の作品を預かるという重大な責任を任せられて緊張したが、その絵のもつエネルギーが人を寄せ付けたのかもしれないとちょっとスピリチュアルな気分になった。
「危険だけど、大したことはないよ。だって”ニューヨークが大好きだから“」とまた頭で『I Love New York』の歌が流れる。ベット・スタイ、危険だけどブルックリンが大好きだから大した事ないよと何度も歌う。キャロルの家を売ることになってから、すっかりニューヨークでの第2のホームグランドになった感のあるベット・スタイ。なんだか真のブルックリンに出会った気がして、私ももっと凄いブルックリンに住んでみようかなと考えるようになっていた。
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